2008年12月04日

食べ物は命、感謝の気持ちでいただきましょう。

食育と言えば、即頭に浮かぶのは心を込めて手作りした食事を家族そろっていただくというイメージが浮かびますが、もうひとつ忘れてならないのは食べる行為は命をいただく行為だと言うこと。戦後食生活が豊かになるにつれ便利さを追求し、命を細切れにしどんどん食べ物を商品化してきました。牛、豚、鶏、魚、野菜など私たちの食卓に並ぶものはすべて命です。他の命を犠牲にして私たちの体は日々存えています。動植物の命をいただいて私たちは生きているという感謝の念がややもすれば欠けてしまいそうなくらい当たり前に食事をしています。幼稚園では食事の前に必ず手を合わせて「いただきます」と感謝の祈りを捧げていましたが・・・・
食品を扱うメーカーさんや、流通業者さんが「自分達は尊い命を扱っているのだ」と誇りを持っていたなら、食用に適さない汚染米を食用に流通させたり、腐りかけた肉を添加物で再生したりすることはきっとできなかったのではないでしょうか?

真の食育とは心をこめて作ったものをみんなで感謝していただくことだけにとどまらず、食べ物は他の命の犠牲の上に成り立っており自分の命につながっているのだということを十分認識し、伝えることにより動植物への感謝の念も育まれ、人の命も大切にすることにつながっていくように思われます。ただ単に安心安全なものを子供に食べさせて自己満足しているだけでは片手落ちになるでしょう。
改めて食育について考えさせられました。
                        寺岡 可江
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2008年12月03日

料理に手をかけなくなった主婦

農林水産省が20年3月に行った「食糧消費に関する消費者の意識調査」によりますと普段調理に手間をかけない人が、手間をかける人の2倍以上に上り、調理をしないと答えた人が2割以上もいるというのです。そしてなんと手間をかけない人の理由は「「手間をかけなくてもおいしい料理が作れるから」が47.2%。
数年前にアメリカにすむ日本人の友人のお宅にお邪魔したことがあるのですが、その彼女と同居しているアメリカ人の女性がまな板も包丁も持っていなかったことに唖然としましたが、愈々日本もこんな時代が来たのでしょうか?スーパーの野菜売場でカット野菜を買い、冷凍食品やレトルト食品を電子レンジでチーンとすれば、たちまちそこいら辺のレストランの味に・・・。手間暇かけて手作りのお味を作るよりも、一流シェフが作ったレストランの味のほうが美味しく感じられる。健康的な昔ながらの調味料を使うのではなくいくつかの添加物を使っていかにもそれらしく作られたお味のほうが食べ慣れてて美味しいとこの頃の子供は言うそうです。

昔聴いたことがあるのですが近頃和食の板前さんの修行に来た若い人たちが加工済みの調味料の味に慣れていて、素材の味がわからないというのです。素材本来の味を生かす和食の調理人が素材の味がわからなくては最早真の割烹料理は作れそうにありませんね。なんだか悲しくなってしまいます。

昔は調理済みのレトルト食品や加工食品を食卓に出すことに抵抗を感じておりましたが、今や当たり前。全く抵抗のない人が半数もいるとの結果です。
一方食の安全に関心のある人が66.4%はいるというのに調理済みの加工食品に頼る傾向に何とも矛盾を感じてしまいます。

電子レンジでチーンとして即食卓へ、忙しいお母さんにとっては簡単で良いかも知れませんが、お料理に全くお母さんの愛情が感じられませんね。何か一品でも二品でもよいので、手間暇かけて作るお母さんの味を食卓に追加してほしいものです。これが正しく食育というものではないのでしょうか。忙しいお母さん、どうぞよろしくお願いいたします。

酵素玄米って玄米と小豆とお塩をお水に入れてから100回まぜるのですが10数年前私がその炊き方を教わった時、友人に「家族の健康を祈り感謝の言葉を言いながら100回まぜるのよ」と言われました。今でも100回感謝の祈りを唱えながら混ぜております。
                       寺岡 可江
posted by ちむじるばん at 19:26| Comment(0) | TrackBack(0) | スローフード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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